2019.05.07

こころ、言葉、場所




何年前からか、忘れましたが
ルイレーリンク先生のこの文章はときどき読み返します。

Be yourself!

どの審査員も自分の「基準」があると思いますが、私の審査基準は「正しい演奏・上手な演奏」よりも、「ピアノから出てくる音が『言葉』に聴こえるか」ということです。

クラシック音楽の人はいつもどこか偉そうにしている人が多いように感じますが、ピアノ演奏は演技することと同じだと思います。
(中略)
例えばロミオとジュリエットのお芝居を見て、果たして「正しい」演技を求めるお客さんはいるでしょうか。
(中略)
残念ながら、演劇とクラシック音楽には大きな差があります。
俳優さん達が、「セリフの意味」や「言葉の中の真実」を探求する旅に出た一方で、音楽家たち=先生や演奏家は正反対の方向へ、正しい演奏はなんだ?と探しはじめました。
(中略)
でも、作曲家がもし天国で自分の作品が演奏されるのを聴いていたとしたら、「あっ、この演奏家、ここをスタッカートで弾いていない」(中略)と言うでしょうか。そんなつまらないことの為に美しい音楽を書いたのでしょうか。自分が曲を書いた時に感じていた事が、今その曲を聴いている人々に伝わって、その曲によって人が元気づけられたり、癒されたり、なんて美しい音楽だろう、と心を震わせている・・・天国にいる作曲家にとって一番うれしいことではないでしょうか。


わたし自身の実感で言えば
音楽はその作品ごとに、なっている場所があって
(弾いている物理的なここ、とは別の)
そこへ行けさえすれば
拙くとも、ある程度のことを伝えられる
というか
自分の柄杓でひとすくいのものを汲むことができる
と感じています。

でもどんなに磨き込んでも
弾いているのが今いるここでしかないときは
弾いていることを楽しんでいます
とか
素晴らしく上手に弾いています
だけです。
素晴らしく上手に弾いている、に感動する人もいるので
なんとも言えませんが。




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